想い出のディーリアスLP


私の駄文ですが、2000年を迎えて、メモリアルの意味で整理してみました。
町の古レコード店でこのようなLPを見つけたら、どうぞかわいがってあげて下さい。
誤解の無いように申し上げておきますが、東芝EMI社のレコードは、日本のディーリアス音楽普及に多大な
功績を残しています。一部に苦言を呈しましたが、それは1ファンからの
熱狂的なラブコールであると御解釈頂きたいと思います。
まだまだ、日本においてディーリアス音楽の認知度は低く、「変人の音楽」の部類を
出ないことは、コンサートの演奏項目であまり紹介されない点からも言えると思います。
もっとも、「スコアが手に入らない」現状を鑑みても、広くディーリアスの音楽が聴かれることを
切に望みます。

2000/02/11 三浦先生亡き後、空虚な冬の東京にて  市川 千尋

国内盤と輸入盤を交互に紹介しています

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02月07日(月)00時37分26秒,市川 千尋,webmaster@chihiro.net,「去り行くつばめ」のこと
すべてのディーリアンがそうであるように、私もこの作品には限りない 慈しみを抱いている。あまりにもこの作品が愛しいから、この作品に対する 論評もしない、ただ感動あるのみである。それゆえ、昭和50年ごろ「レコード 芸術」誌に掲載された音楽評論家 出谷 啓氏の名文を私は忘れることが できない。
Q「私の葬儀は音楽葬を考えていますが、どのような音楽が良いでしょうか」
出谷 啓「ディーリアスの”去り行くつばめ”などが最も相応しい名曲 なのではないでしょうか?」
このようなQ&Aだったが、一老人に対する氏の優しさ溢れた回答は、この 作品の素晴らしさとあいまって、私の乾いた心に限りない潤いを与えてくれた。 それまで管弦楽曲としてアレンジされていた「去り行くつばめ」を、オリジナル のカルテットで聴きたいという望みは昔からあったが、実にタイムリーな LPがオワゾリールから出た、石丸にさっそく買いに行き、「予定どおり」の 感動を味わえた。20年ほど前の話である。 元来、「名曲」とはそうあるべきなのだろう。すべてのディーリアンが、この 作品で自分の人生の生涯を語りたいと思っている。私は父の葬儀の時、CD ラジカセを斎場に持参し、通夜の間流していた。最後まで自分のしたい放題、 親孝行は出来なかったが、この行為だけは父も許してくれると思っている。
DELIUS / QUARTET FITZWILLAM STRING QUARTET L'OISEAU-LYRE DSLO 47

想い出のディーリアスLP その19

01月08日(土)01時01分01秒,市川 千尋,webmaster@chihiro.net,チェロ協奏曲
私的なことで恐縮だが、私が最も愛する国内盤である。 1978年発売--このLPのジャッキーは、本当に若若しく まるでアイドルのようだ。 私はいつになってもこの協奏曲の最後(コーダ)・・アレグラメンテ で涙を禁じえない。ジャッキーのチェロの美しさ--マルコム・ サージェントはジャッキーに心の思うまま自由に歌わせ、絶妙 なハープが穏やかにつける---これが正にディーリアスの世界 なのだ。そして、ディーリアスの音楽が遥かなる永遠に達した 瞬間である。 1965年のこの録音は、マルコム・サージェントが2年後に他界、 ジャッキーも1987年に他界したことも考え合わせると、今世紀 残すべき最も貴重なモニュメントなのではなかろうか。 話は変わるが、またヨーヨーマにこだわると、彼のディーリアス が非常に聴きたい。彼なら、どのようなアプローチをするのだろうか? こんな風に言ったら興ざめだが・・・ 「ディーリアス? 僕は嫌いだな。ピアソラの方がスリリングだし、 歌わせるならバッハだよ」
チェロ協奏曲  デュ・プレ / サージェント ロイヤル.po 東芝EMI EAC-70238 (1978) (このジャケットのジャッキーは二十歳である。CDのオバさん  顔より好きだ)

想い出のディーリアスLP その18

12月10日(金)23時56分21秒,市川 千尋,webmaster@chihiro.net,歌劇「イルメリン」全曲
私は、これほど装丁の良いLPを見たことがない。イギリスのレコード 店から無傷で届いた時は、非常に嬉しかったものである。何よりも イギリス人の良心とディーリアス・トラストの熱意がひしひしと伝わって 来る。(ジャケットの絵は特に素晴らしい!) 北欧に伝わる王子ニルスと王女イルメリンとの夢物語。王女 イルメリンが恋を夢見て綴る美しい前奏曲は、正にディーリアスの 代名詞になる有名な作品となった。意外なことにこのオペラは、 ディーリアスの死後19年たった1953年(最近である)に トマス・ビーチャムにより上演された。作品自体は1890年 から1892年にかけて作曲されており、ディーリアスの最初の オペラである。前奏曲は1931年にディーリアスの気に入った素材 を用いて書かれており、1935年にオペラ「コアンガ」再演の 時に、間奏曲として演奏された。 想い出のLPも何やかやでもう17回!夏からよく続くものである。 もう少し頑張ってご紹介しようと思う。ペースは重いがお許し頂きたい。
BBC CONCERT ORCHESTRA / DEL MAR BBC ARTIUM BBC 3002(3 LPs)

想い出のディーリアスLP その17

11月27日(土)23時26分58秒,市川 千尋,webmaster@chihiro.net,「音の詩人・ディーリアス1800シリーズ」
それまで東芝EMIから単発で発売されていたディーリアスの作品を、 トータルイメージとしてシリーズ化したものがこの一連のLPである。 LPのカラーリングを白で統一し、ターナーの絵を配したジャケット、 裏面には慈父の如く柔和な表情のディーリアスの写真・・・。女性層を 広く意識したシリーズに仕上がったが、今ひとつ彼女たちの心を捕まえる までには至らなかったようだ。反面、我々は「人生のミサ」などの再発 が意外な形でイメージされ、嬉しいような、悲しいような、複雑な心境 であった。 たしかに、当時はジョージ・ウインストンなどの環境音楽やフュージョン 系のジャズ(チック・コリア、キース・ジャレット)全盛であり、その 中でディーリアスの音楽は、美しくても難解な面があり、(幸いにも) 忘れられていった。1980年の前半のことである。 また、同社から発売されていた「フランス音楽のエスプリ・シリーズ」は、 あまり縁がなかったプーランクやサティ、フランキストたちの秘曲を広く 世間に知らしめ、ミュンシャの美しいジャケットは男女問わず若いクラシック ファンの心を捉えた。価格も1500円であり、ディーリアスの1800円 と比べると、明暗を分けた。好評なエスプリ・シリーズが数回に渡りロング ランしていることからも裏付けられよう。 蛇足になるが、同社は1980年の後半にもディーリアスをCDでシリーズ化 する。ただし、この時は「イギリス音楽の詩情を求めて」という副題の下、 ホルストやブリトゥン、ウォルトンとのカップリングが平気で行われ、 むしろイギリス音楽でのイメージをセールス・ポイントにしていた。
50022 河の上の夏の夜 / 50023 丘を越えて遙かに 50024 楽園への道 / 50025 北国のスケッチ 50026 高い丘の歌 / 50027 告別の歌・2つの水彩画 50028 レクイエム・田園詩曲 / 50029 パリ 50030 日没の歌・シナーラ / 50031〜32 人生のミサ 50105 追憶のコンチェルト / 50106ヴァイオリン・ソナタ全3曲 50107 去りゆくつばめ / 50108 劇付随音楽「ハッサン」 50109〜10 歌劇「村のロメオとジュリエット」 EACは省略 22〜32迄は1982年、105〜は1983年発売 写真は50028

想い出のディーリアスLP その16

11月23日(火)08時31分28秒,市川 千尋,,A Tribute to ELGAR DELIUS & HOLST
重い内容の作品ばかりご紹介してきたが、ここで息抜きをひとつ。 BLACK DYKE MILLS BAND の軽妙なブラスバンド作品集である。 彼らの MARCH CAPRICE はウイットに富んでおり、実に新鮮である。 ブラスバンド作品というと、日本では高校生の音楽活動ぐらいの 認識しかないように思えるが、欧米では音楽のジャンルとしての 位置が確立している。CHANDOS(LP)では彼らの至芸が十分鑑賞できたが、 CDではどうであろうか?未確認である。 "THE WORLD'S MOST BEAUTIFUL MELODIES" や "LIFE DIVINE" の珠玉 の名曲集が思い出される。「我が母の教えたまいし歌」の PHILLLIP McCANN のコルネットには泣けたものだ。 日本人はピアノ曲との相性は良いが、ブラス作品となると何か 触手が動かない。何日か前の新聞で見たが、アンドレ・ギャニオン のピアノがOLの紅涙を搾り取るなら、日本人の音楽への関心は何と 画一的なのだろうか。ちょっとした勇気で、人生を変えるような 作品に出会えると言うのに・・・。
(tribute は贈り物、讃辞などの意) THE WAND OF YOUTH / ELGAR MARCH CAPRICE / DELIUS OVERTURE / HANDEL THE PERFECT FOOL / HOLST BAVARIAN DANCES / ELGAR BLACK DYKE MILLS BAND Chandos BBRD 1031

想い出のディーリアスLP その15

11月13日(土)00時42分24秒,市川 千尋,chihiro@chihiro.net,「海流」
別離を扱ったディーリアスの作品の中で、最も優れている作品は、この「海流」と 「去りゆくつばめ」かもしれない。「海流」のすばらしさは、この作品の構成 にある。カモメの巣を見つける少年(バリトン独唱)、そしていつの間にか その少年は別れた雌のカモメとなり、悲しむ雄のカモメの叫びとなる。 ディーリアス結婚の年(1903年)に書かれたこの作品は、正に放浪の作曲家 にふさわしい官能の美学が窺われ、アメリカのホイットマン(1819−92) 詩集「草の葉」から作品を構成している。 私は、何故かこの作品を聴く度に、高田三郎の「ひたすらな道」を思い出す。 背かれて湖となった「姫」、そして夢ばかり見ていた「白鳥」。冬がきて、凍結した 湖−「姫」から飛び立つ「白鳥」は、その足を切り落としてまで大空へ舞い上がる ・・・。 別離から始まるもの、生きている物が全て迎える「死」。ディーリアスや高田が その作品の中で暗喩するものは、別離を迎える悲しみや恐怖ではなく、「死」を 意識して生きることからの解放であり、翻って、ひたすらな自分の人生を見つめ 直すことだと考える。 ノスタルジアの向こうにあるもの・・ディーリアスの音楽を聴く上で、私がいつも 考えていることだ。
「海流」 「高い丘の歌」 東芝EMI EAC−80527(発売1979年) サー・チャールズ・グローヴズ指揮 / ロイヤル・リバプール .PO

想い出のディーリアスLP その14

11月03日(水)23時18分52秒,市川 千尋,chihiro@mxj.mesh.ne.jp,歌劇「魔法の泉」
インディアンの娘ワタワの力を借りて、スペイン貴族のソラノが森の奥で 見つけた「魔法の泉」。だが、ワタワはその泉が毒であることを知っていた。 ワタワの種族を殺した憎いスペイン人だが、彼女はソラノと恋に落ちる。 ソラノを助けるため泉の水を飲むワタワ。ソラノも水を飲み彼女の後を追う・・。 ディーリアスの作品と河や水の関わりは前回述べたが、彼の作品に共通している 何ともやりきれない悲哀物語−−しかし彼の巧みなオーケストレーションは 単なるドラマとしてではなく、作品を質の高い芸術の域に届かせている。 どんな素晴らしい旋律を書いても、その裏にあるディーリアスの凍った微笑 に気が付くであろう。氷上の微笑のような鋭いもの・・彼の音楽にはいつも 存在するこの正体こそが、私が追い続ける彼の実体である。 このLPは、80年頃、代々木のレコード店で購入した記憶がある。 パーマ屋の二階で、名前は忘れた。ヴォーン・ウィリアムスの9番を買った ついでに、ディーリアスが好きだと言うと、店の奥から出してきてくれた。 話が弾み、気さくな主人だった。 ディーリアス・トラストの協力による  PREMIERE PERFORMANCE である。
THE MAGIC FOUNTAIN ARTIUM BBC2001 THE BBC CONCERT ORCHESTRA NORMAN DEL MAR

想い出のディーリアスLP その13

10月24日(日)23時27分14秒,市川 千尋,chihiro@mxj.mesh.ne.jp,歌劇「村のロメオとジュリエット」
土地をめぐる両家の争いに巻き込まれたサーリとヴレンチェンは、 荒果てた居酒屋「楽園」を訪れ、かつての楽しい日々を思い出しながら 干し草を積んだ沈みかけている船に乗り、夜の中に漂い、沈み行く・・ ディーリアスの音楽を考える上で、「河」は一つのキーワードのようだ。 故郷の河、フロリダの河、北欧の河、そしてロワン河。すべてが彼の 音楽の大切なエッセンスとなっている。 ディーリアスがこの作品の完成の2年後、イェルカと結婚していることを 考え会わせると、パリを捨てた二人の姿にサーリとヴレンチェンの固い 愛情と不幸な境遇がオーバーラップしてくる。 アメリカでの初演は1972年と遅く、初演当時はかなり話題となった ようだ。だが、本当にこの世界が彼らに理解できたのだろうか? いわゆる「心中物」で、近松の世界に近い。様々な経験や河をめぐる 自然、複雑な人種、人間関係・・ディーリアスだからこそこの微妙な 作品を形にできたのかも知れない。 日本での国内盤発売は1979年。美しいボックス入りで、三浦先生の 解説付き。
東芝EMI EAC−77259〜60 デイヴィス指揮 ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団

想い出のディーリアスLP その12

10月12日(火)23時41分47秒,市川 千尋,chihiro@mxj.mesh.ne.jpI.G.S
I.G.Y はドナルド・フェーゲンだったか?では、I.G.S は?なんて 軽い言葉が出てきそうだ。バークシャー・レコードは海賊盤まがいの レア物があるから好きである。このLPもまだ現役だから、注文すれば 届く筈である。この意味では「懐かしのLP」ではなく、「あやしい LP」なのかも知れない。 ドラティによるアパラチアは録音が悪く、マイクを持っているであろう おじさんの咳き込み付きである。演奏はまあまあの部類だろうか。 1971年の録音である。とりたてて良い点はない。 マゼールのパリも、アパラチアより録音はましである。これも1971年 の録音。一番良いのは David Hancock の Dance For Harpsichord であろう。ピアノ盤で、踊り出したくなるような見事な演奏である。 この I.G.S は、バークシャーでかなり手に入る。これ以外にも、間違いなく ラジオ録音と思われるフェニモアとゲルダ(2枚組だがD面は真っ白け) なんていう奇怪なLPもあり、興味に事欠かない。
APPALACHA / Dorati National .so PARIS / Mazzel New Philharmonia .o DANCE FOR HARPSICHORD / David Hancock IGS089 (Private Recording)

想い出のディーリアスLP その11


09月28日(火)23時27分30秒,市川 千尋,chihiro@mxj.mesh.ne.jp,北国のスケッチ
「北国のスケッチには何のプログラム(標題)もない。手がかりといえば、 それぞれの楽章に与えられた題名をべつとして、彼の人生観にあるように 思われる。『人間は空しい!自然だけがめぐってくる!』というのが、 しょっちゅう彼の思考に現われる要旨だった。」             −−−Eric Fenby 三浦 淳史 訳 自然を見るときに、シベリウスの交響曲4番や6番に代表されるリリカル なアプローチと対比しうる佳作であろう。秋の空のように変わりやすい 旋律、全てが音の散文詩を読むように流れてゆく。音の色彩感は、まるで バックスの作品のようだ。ディーリアスとしては斬新な表現である。 シベリウスの作品が音の無駄な部分をそぎ落とした水墨画だとすれば、 ディーリアスの作品は、音の色彩や旋律のピースを集めた大きなジグソー パズルのようなものではないだろうか。 録音は1974年 東芝EMIの発売(1977年)帯には、こうある  「グローヴズ豊かな円熟を迎えました。光りながら過ぎてゆく美しき ディーリアス。」      ・・・ ノーコメントだ。
北国のスケッチ 生命の踊り/夏の歌 サー・チャールズ・グローヴス/ロイヤルpo. 東芝EMI EAC-80351

想い出のディーリアスLP その10


09月25日(土)00時42分05秒,市川 千尋,chihiro@mxj.mesh.ne.jp,ディーリアス  ヴァイオリンソナタ
枯れた幽玄美 彼らの演奏は女性演奏家のパフォーマンスと異なり、決して 流暢な物とは言えない、無骨で、粗野で、それでいて何より 心のこもったパフォーマンスである。この作品の全てを知って いるからだ。このラインナップがCDリストに無い。至極残念 である。全ての演奏家に伝えたいディーリアスの全てがある。 私的な話で恐縮だが、私の初めて手にしたディーリアスの ヴァイオリンソナタがこれであった。聴き込むうち、様々な 旋律は全て関連しており、壮大なタペストリーを形作っている ことを知った。フェンビー氏のピアノは実にメロディアスで あり、彼につけるメニューインは大変だったであろう。それで いて、メニューイン独自の世界は捨てていない。喧嘩もあった ろう・・彼らデュオの作る幽玄の能舞台で、シテとワキの舞いは 実に爽やかに我々の胸にせまる。 LITTLE の盤と比較?それは全く無意味なことである。例えば 前者が素晴らしい歌手の歌であるなら、後者は年老いた母の歌う 子守歌のようなものだから・・・。
YEHUDI MENUHIN / ERIC FENBY DELIUS The Three Viorin Sonatas EMI ASD 3864

想い出のディーリアスLP その9


09月15日(水)00時23分24秒,市川 千尋,chihiro@mxj.mesh.ne.jp,ディーリアス「人生のミサ」
 国内盤 発売は1976年かと思われる。東芝EMIが世に問うた記念すべき 国内盤「人生のミサ」。レコード芸術誌の推薦盤となり、高く評価 されながらも、すぐに廃盤となってしまった。もちろんグローヴスの 不朽の録音。「ディーリアスは、『人生のミサ』において、現世のための ミサ曲を書いたのだ。ニーチェの思想の底にある『生への絶対的肯定』 のために”ミサ”を捧げたのである」と、三浦先生の語り口も熱い。 日本初演は1976年9月15日、山口貴指揮フィルハーモニー合唱団 (東京厚生年金会館)だそうで、ちょうど23年前のことである。 23年前、時代の不安と期待の間で、我々はこの作品に出会った。 「人間は無だが、自然は永久に回帰する」というディーリアスの言葉は 翻って物質文明を享受している私たちに空しく響いてしまうのだろうか。 この作品が国内盤だった当時は、私たちを育んでくれた自然への畏怖と 憧れがあり。私たちはもっと真摯に人生の節目を、生や死を見つめていた はずだ。そして、様々な困難に直面しても、したたかに生きていく知恵と 工夫、そして何よりも他人に対する思いやりがあった筈である。 ディーリアスのメッセージは、現在の私たちに実にタイムリーだ。 彼の世界の魅力は、ノスタルジアだけではなく、現在における普遍的 な真理の問いかけにあると言えよう。
「人生のミサ」 東芝EMI EAC-80420〜21 Sir Charles Groves London Philharmonic Choir & Orchestra

想い出のディーリアスLP その8


09月03日(金)22時45分16秒,市川 千尋,chihiro@mxj.mesh.ne.jp,ピアノ協奏曲
今から20年近く前、学生の時、様々なディーリアスの作品を集めていた。 そして、ただ感動していた私がある。しかし、ディーリアスのピアノ協奏曲 だけはなかなか見つからなかった。やっととあるレコード店(石丸か神田の富士 レコード店か忘れた)で偶然手に入れた。嬉しかった。 MM型のカートリッジを静かに降ろす・・初めての音楽が小さな部屋に広がった、 それは、昔好きだったラフマニノフの作品よりも、甘く、切なく、それでいて ディーリアスさを失わない新しい音楽だった。流れる音楽に過去の色々なことが オーバーラップしてくる、辛いこと、悲しいこと・・私は静かに泣いていた。 録音は悪いものの、ブルムは一生懸命弾いている・・それは我々にも痛いほど 伝わってくる。ある意味でこれほど暖かい演奏は無いように思われる。 現在の定盤は フォルケ/デル・マーだが、大人しい後者に比べやや荒削りな 面はあるものの、全くひけをとらない演奏だということが今聴き直してみて感 じている。1978年、米サミットの発売。1970年代の録音と思われる。 その後、「ディーリアスの音楽」Volume2 の中の BETTY BEECHAM/R.P.O/ BEECHAM指揮(1946年)の盤を知ることになるのだが、この盤の歴史的 価値についてはいずれかの機会に委ねよう。
SUMMIT SUM 5088 ELGAR:Pomp and Circumstance March BATH:Cornish Rhapsody ADDINSELL:Warsaw Concerto DELIUS:Concert in C Minor for Piano HERBERT BLUM/Piano HANBURG SYMPHONY ORCHESTRA WALTHER JERGENS/Conductor

想い出のディーリアスLP その7


09月03日(金)11時20分17秒,市川 千尋,chihiro@mxj.mesh.ne.jp,ディーリアスと映像
J・カーディフ氏が偉大なカメラマンであることは、否定できない事実であろう。 映画「赤い靴」で見せたカメラ・ワークは、未だ私の網膜に焼き付いている。 折しも1991年、レーザー・ディスクの開発はCDの開発と共に「革命」と 言われ、メーカーの意気込みも大層なものがあった。バブル時期とも重なり羽振り の良かった東芝EMI社は、イメージソース開発の一環としてJ・カーディフ氏に 当ディスクの制作を依頼、氏より快諾の快挙を得た。 こういう作品は、例えば、スポーツ・クラブのリクライニング・チェアに腰掛けながら 運動とサウナの後、ビールでも飲みながら「綺麗な風景だな」などど言いつつ見るのが 相場の所だ。この作品の中で、「夏の歌」があるが、映像は何とクリケットに興ずる 人々を扱っている。ディーリアンなら、この作品に対する思い入れも大層なものがあろう。 それ以外にも、「海流」か何かで広い海を低回する一羽の鴎を思い描く所が、餌付け に集まる無数の海鳥を見せられれば興ざめもいいところだ。 J・カーディフ氏の演出が悪いと言うことではない。それだけディーリアスの音楽は 我々の経験や、イメージの中に深く根を下ろしているのであり、固定化したイメージ で考えるのは難しいということである。三浦先生の「ディーリアスを初めて聴かれる 人が羨ましい」というキャッチ・コピーが付いているが、「初めての人以外はどうも ・・」と言われているようで、深読みすると実に興味深い。
レーザディスク ディーリアス管弦楽名曲集 春初めてのカッコウを聞いて 1、夜明け前の歌 2、春初めてのカッコウを聞いて 3、河の上の夏の夜 4、楽園への道 5、夏の歌 6、日没の歌 バルビローリ指揮、ハレ管弦楽団他 J・カーディフ 映像    東芝EMI TOLW-3612

想い出のディーリアスLP その6


09月01日(水)23時05分26秒,市川 千尋,chihiro@mxj.mesh.ne.jp,フルートのディーリアス
以前にディーリアスのオルガンCDをご紹介したことがあるが、繊細かつ華麗な フルートによるディーリアス・アルバムがあった。録音は1979年で、Fenby氏も まだ活発に録音活動を行っていた頃である。side one のフルートによる Lullaby for a modern baby の繊細さは、能の幽玄な世界を思い起こさせる逸品である。 Fenby氏の手による side two の Sonata for String Orchestra は、特に "Late Swallows" の素晴らしさが秀でており、Fenby氏の真摯な人生を見るにつけ、感動を 押さえることが出来ない。飾らず、さりげなく過ぎて行く旋律、あんなに数多くの 想い出があったにもかかわらず・・。−妙に歌わせることをしない−それが逆の効果 となり、経験を共有している筈である我々ディーリアンの胸に迫る。 Elena Duran は当時若かったものの、巨匠の前で怯まず、のびのびと演奏している。
Eric Fenby conducts MUSIC OF DELIUS arranged by Eric Fenby Elena Duran flute / Bournemouth Sinfonietta EMI ASD 3688 side one 1 Dance(arr.for flute and strings) 2 La Calinda 3 Air and dance 4 Five little pieces Mazurka for a little girl Waltz for a little girl Waltz Lullaby for a modern baby Toccata side two 1 Sonata for String Orchestra

想い出のディーリアスLP その5


08月29日(日)22時26分28秒,市川 千尋,chihiro@mxj.mesh.ne.jp,マリナーのディーリアス
「四季」や「調和の幻想」のマリナー/アカデミーがディーリアスを演奏するのは そんなに不自然な話ではなかった。演奏も実にシンプルであり、しかも”楽園の道”の 冒頭を聴けば、彼の細やかな演出はディーリアスの音楽の一音一音を大切に扱っている ことで成り立つことが分かった。優秀な録音であることも幸いし、このアルバムは私の 記憶に永くとどまっている。 発売は1979年、帯に「やすらぎ」と付け、ジャケットも美しい写真を使用する・・ 折しも、日本人が高度成長時代に疲れ、様々な歪みが露呈してきた頃、このアルバムも 「やすらぎ」でディーリアスの音楽を売らねばならない背景があった。あくまでも 環境音楽的な位置づけは「ディーリアス=自然と愛の音楽」というよく分からない メッセージからも読みとれる。 「一流の仕上げが、どの曲にも夜光虫のような光を放ちながら、わたしたち聴き手を、 ディーリアスの、無限のノスタルジアの世界にひきこんでゆく。」−夜光虫の光− 三浦先生のライナーノートは実に素晴らしい。
SIDE A 1、楽園への道 2、間奏曲とセレナード 3、日の出前の歌 4、間奏曲(フェニモアとゲルダ) SIDE B 1、春を告げるカッコウ 2、河の上の夏の夜 3、エアーとダンス 4、ラ・カリンダ アカデミー室内管弦楽団/ネヴィル・マリナー   キング SLA 1214

想い出のディーリアスLP その4


, 08月25日(水)23時11分36秒,市川 千尋,chihiro@mxj.mesh.ne.jp,ディーリアスとリリー
以前、「斉諧生音盤志」の斉諧生さんとメールを交わす機会がありました。 斉諧生さんは、LILI BOULANGER のサイトを作られていて、私の所有するLP の中で、ディーリアスとリリーの作品集があったので参考にと私からメールさせて頂きました。 以下は私のメールから
>私がリリーの作品を知ったのは、以下のLPからです。
> DELIUS BOULANGER PIANO AND CHAMBER MUSIC (LP)
> UNICORN-KANCHANA DKP 9021
> side 1(Delius)
> 1.'Delius as I Knew Him' read by Dr.Fenby
> 2.Cello Sonata
> 3.Three Piano Preludes
> 4.Zum Carnival
>
> side 2(Lili)
> 1.D'un Matin de Printemps
> 2.D'un Soir Triste
> 3.D'un Vieux Jardin
> 4.D'un Jardin Clair
> 5.Nocturne
> 6.Cortege
> 7.Harmonies du Soir
> Eric Parkin Piano
> Barry Griffiths Violin
>
>リリーの写真が若々しく、聡明で印象に残っていました。
>(有名な写真なんでしょうね)
>ライナー・ノートを見ると若きリリーとディーリアスには
>様々な交流があったようですが、この件については
>もう少し私も調べてみたいと思います。
>"Pie Jesu" は、そのあまりの清明さにより、私は「怖い」
>と感じました。これはわたしのサイトの中で書いたことが
>あります。ディーリアスとの出会いが彼女の音楽にどのような
>影響を及ぼしたのか、それはプラスだったのか、マイナスだった
>のかを含めても知りたいところです。(答えが出るべくも
>ないでしょうが・・・。)「怖い」ほど清明な彼女の
>感覚を、死の直前まで老練な技法が支配していたのであれば
>残念なことであります。私がそこまで言うのは、ディーリアス
>の音楽はそれほど複雑かつ難解な面もあり、このサイトを
>行う上で彼の作品を多く聴き返してみて改めて思うからです。
>
>何か彼女がギョーム・ルクーの生まれ変わりの
>ような気がして、本当に惜しまれる気持ちで一杯です。
老練な技法とは、言い過ぎだったかもしれませんが。有る意味では言い得て いると思います。 斉諧生さんのサイトは http://plaza10.mbn.or.jp/~seikaisei/ です

想い出のディーリアスLP その3


08月22日(日)12時57分48秒,市川 千尋,chihiro@mxj.mesh.ne.jp,夏の夜 水の上にて歌える
1977年、三浦淳史先生の解説付きで出されたこのLPは、ジャケットの斬新さも さることながら、ディーリアスと万葉の世界を結びつけたものとして記憶に残ります。 帯(死語)のコメントには「グリーンスリーブズ以上のさわやかさ...」の文字が。 「自然を愛し、自然とともに生きた”田園作曲家”が美しいメロディーに託して高らかに 謳いあげた自然賛歌!」とも書かれており、なにか場違いな感はあるものの、当時は 実に新鮮な音楽として堪能したものです。
夏の夜 水の上にて歌える ルイス・ハルシー・シンガース キング SLA 1130

想い出のディーリアスLP その2


08月12日(木)22時19分40秒,市川 千尋,chihiro@mxj.mesh.ne.jp,THE FENBY LEGACY MUSIC OF DELIUS
ここに後世に伝える遺産があります。私がこのLPを手にしてから、大切に 大切にしています。FENBY氏の全てがこのLPに凝縮されていて、まず一番に 感じとれるのは、彼の誠実さでしょう。三浦先生も絶賛したFENBY氏のLPは 残念ながらCDでは発売されていないようです。ジャケットも素晴らしい出来 です。ディーリアスの好きだった海・・「海流」が思い出されます。
SIDE 1 SONGS OF FAREWELL SIDE 2 IDYLL FANTASTIC DANCE SIDE 3 A SONG OF SUMMER CYNARA IRMELIN PRELUDE SIDE 4 A LATE LARK LA CALINDA CAPRICE AND ELEGY TWO AQUARELLES UK DKP 9008/9

想い出のディーリアスLP